トップページ>>フェルメールになれなかった男|20世紀最大の贋作事件

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「フェルメールになれなかった男 20世紀最大の贋作事件」「私はフェルメールー20世紀最大の贋作事件ー」(フランク・ウィン著)で公にされたファン・メーヘレンというフェルメール贋作者のフェルメール贋作するまでにいたったいきさつについてご紹介します…


 フェルメール展が海外で話題を呼んでいます。何しろ現存している作品が三十五点しかないというのですから、数多くの国の美術館がそれぞれ二、三点ずつ所蔵しいているので一箇所に集めるのは難事業です。

 問題点がさらにあります。フェルメールの場合、数多くの贋作があるので、それを鑑定しなければならないことです。フェルメールは十七世紀の画家ですから作品の表面もかなり傷んでいて贋作は難しいように思われますが、ファン・メーヘレンという十九世紀末から二十世紀半ばまで生きた画商兼画家がこのフェルメールの贋作を得意としていました。

 そして不運にも贋作の一点がナチスのゲーリング元帥の手に入ったことが判明し、戦後、芸術品国外流失の罪により投獄されるのです。政府当局に真贋を見抜く目はありませんから、メーヘレンが「その絵は自作だ」といっても誰一人として信じてくれない。とうとう牢獄で実際に描いて見せて自分が贋作の名人であることを立証したそうです。

 さてこのメーヘレンの贋作の一点いわたしは考えさせられました。それはフェルメールの『青衣の女』の贋作で、新作は中年の女性が机から立ち上がって窓際の明かりで手紙を読んでいる姿を真横から描いたものなのですが、メーヘレンは画面左手の机、右手の椅子、中央の女性、奥の白い壁と何やらわからぬ矩形の板という構図はそのまま保って、ただ女性を机に向かって座らせて楽譜を読ませている。画題は『楽譜を読む女』どしてありますが、この楽譜が問題なのです。

メーヘレン,フェルメール贋作『楽譜を読む女』  職業柄、わたしの目はその楽譜に吸い付けられました。この絵が描かれたのは1935年から36年となっています。R・シュトラウス、バルトークもまだ生きていて、シェーンベルクらの新ウィーン学派が全盛期のころです。

 もしメーヘレンがその時代の中流家庭の日常生活からヒントを得て手紙を楽譜に換えたのだとしたら、そのころの女性は楽譜が読めたことになります。中流家庭というのは、画面に描かれた壁紙も貼られていない質素な部屋の様子から判断したのですが、ひょっとするとそれ以上に質素な生活をしていたのかもしれないし、また、唯、新作に忠実にしたがって描いただけに過ぎないかもしれない。なんとも判断はつきかねます。

 ただ、多くの作曲家かが収入の道として楽譜出版を目指した事実、交響曲でもまずピアノ譜を出版」したという二つの事実から考えても、十八、九世紀、さらには二十世紀前半の教養の一つとして「音楽を解すること」が必須科目だったのではないかと想像出来ます。

 演奏会が一般に聞かれるようになったのは音楽が宮廷から独立することによって初めて実現されたわけですが、それでも一般人は現在のように家庭にいてCDに吹き込まれたオーケストラ曲を聴くことはできなかったのです。さらに現在のように娯楽がありふれていたわけではありませんから、家庭での楽しみといえば本を読む、音楽演奏または合奏を楽しむというようなことがかなりのウエイトを占めていたように思われます。

ここから。一昔前の人々の音楽に対する接し方は現在の人々より大きな意味を持っていたのではないか、という推測が出来ます。楽譜を読むというようなことは知的にかなりの能力を必要としますし、そこからその音楽の姿を感じ取るのはよほどの感受性が必要です。楽譜も読めない現代知識人はこの点を多いに反省すべきではないでしょうか。

ところで当のメーヘレン氏は『ナチスに一杯食わせた男』として国家的な英雄になったそうですから、世の中わからない。

(この項、終了)

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(音楽批評家時代、雑誌に掲載したエッセイより)



参考

ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632年 - 1675年)は、17世紀にオランダで活躍した画家。誕生日、死亡日ともに不明。本名をヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト(Jan van der Meer van Delft)という。後ろのファン・デルフトは「デルフトの」という意味で、彼が同名のアムステルダム在住の他人と間違えられないように付け加えたものである。

父親の名前は、レイニエル・ヤンスゾーン・フォスといい、元々の姓はファン・デル・メールではなく、フォス(Vos)、英語ならFox、つまり狐を意味するものだった。父親はなぜそれをファン・デル・メールとしたのか、さらにその息子がそれを短縮してなぜ「フェルメール」としたのか、分かっていない。レンブラントと並び17世紀のオランダ美術を代表する画家とされる。生涯のほとんどを故郷デルフトで過ごした。

フェルメール,『マリアとマルタの家のキリスト』 最も初期の作品の一つ『マリアとマルタの家のキリスト』(1654-1655頃)に見られるように、彼は初め物語画家として出発したが、やがて1656年の年記のある『取り持ち女』の頃から風俗画家へと転向していく。静謐で写実的な迫真性のある画面は、綿密な空間構成と巧みな光と質感の表現に支えられている。

現存する作品点数は、研究者によって異同はあるものの33〜36点と少ない。このほか記録にのみ残っている作品が少なくとも10点はあるが、記録に残っていない作品を勘案しても22年の画歴に比してやはり寡作というべきだろう…



贋作事件


トレ・ビュルガーがフェルメールの作品として認定した絵画は70点以上にのぼる。これらの作品の多くは、その後の研究によって別人の作であることが明らかになり、次々と作品リストから取り除かれていった。20世紀に入ると、このような動きと逆行するようにフェルメールの贋作が現れてくる。中でも最大のスキャンダルといわれるのがハン・ファン・メーヘレンによる一連の贋作事件である。

この事件は1945年ナチス・ドイツの国家元帥ヘルマン・ゲーリングの妻の居城からフェルメールの贋作『キリストと悔恨の女』が押収されたことに端を発する。売却経路の追及によって、メーヘレンが逮捕された。オランダの至宝を敵国に売り渡した売国奴としてである。ところが、メーヘレンはこの作品は自らが描いた贋作であると告白したのである。

さらに多数のフェルメールの贋作を世に送り出しており、その中には『エマオのキリスト』も含まれているというのである。『エマオのキリスト』は1938年にロッテルダムのボイマンス美術館が購入したものであり、購入額の54万ギルダーはオランダ絵画としては過去最高額であった。当初メーヘレンの告白が受け入れられなかったため、彼は法廷で衆人環視の中、贋作を作ってみせたという。『エマオのキリスト』は、現在でもボイマンス美術館の一画に展示されている…

メーヘレンのフェルメール贋作『エマオのキリスト』

--Wikipediaより

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