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箱根-概略

箱根(はこね; 古くは「函根」とも)は、静岡県に近い神奈川県南西部の一角、箱根カルデラ近辺の一帯を指す地名。 地図の上では、行政区画としての箱根町におおむね重なる概念である。 古来東海道の要衝であり、「天下の険」と謳われた難所箱根峠のふもとには宿場や関所が置かれた。近代以降は保養地・観光地として発展。各所に湧く温泉や、芦ノ湖、大涌谷、仙石原などがとりわけ有名である。1936年に「富士箱根国立公園」(現・富士箱根伊豆国立公園)に指定されている。 >>From Wikipedia


箱根-地図

箱根の観光地図

箱根-温泉

箱根温泉が知られるようになったのは、豊臣秀吉の小田原征伐がきっかけである。広大な小田原城を攻めるため全国の武士を集め長期滞陣したが、その無聊を慰めるため温泉に入ったといわれている。

江戸時代は五街道の一つ東海道に沿った温泉として繁栄、「箱根七湯」として知られた。この頃の箱根七湯は、湯本、塔之沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯。開湯は古いが街道から大きく外れていた姥子の湯を入れて、「箱根八湯」と呼ぶ場合もあった。徳川家光、徳川綱吉の時代には、将軍への献上湯も度々行われている。なお、江戸時代の温泉番付では芦之湯温泉が前頭上位となっている。

明治以後、箱根は保養地、観光地としての開発が進む。1919年には箱根登山鉄道鉄道線が山上まで達し、さらに太平洋戦争終戦後まもなく小田急電鉄が箱根湯本駅まで乗り入れ、非常に便利になった。直通運転開始後、西武鉄道グループと小田急グループの箱根山戦争の舞台となり、結果多くの観光客が訪れるようになる。新たな温泉の開発も進み、歴史ある上記の八湯に加え、明治以降に開かれた大平台、小涌谷、二ノ平、強羅、宮城野、仙石原、湯ノ花沢、芦ノ湖、蛸川の9つの温泉を合わせて「箱根十七湯」と称している。さらに早雲山、大涌谷、湖尻の3か所を加えて「箱根二十湯」と呼ぶこともある。

箱根温泉
箱根温泉

箱根-温泉/Wikipedia
箱根-大涌谷

大涌谷は二回の過程を経て形成された。約3100年前、箱根火山で水蒸気爆発による山崩れが発生し、堆積物が貯まった。さらに約2900年前に小規模な火砕流が発生、冠ヶ岳ができ、また火山砕屑物が積もった。この火山砕屑物と山崩れによる堆積物の間が現在の大涌谷となっている。 かつて「地獄谷」と呼ばれていたが、明治天皇・皇后の行幸啓に際し、1876年(明治9年)9月5日に改称された。

  大涌谷観光センターが整備され、観光用に噴煙や硫黄を見ることが出来るようになっている。ただし、硫黄の採取は原則として禁止されており、火山ガス(亜硫酸ガス、硫化水素ガス)が噴出しているため健康上の注意が必要である。かつては大涌谷自然科学館が存在したが、2003年に閉館している。

地熱を利用して作られたゆで卵が販売されている。当地で湧いている温泉に含まれる硫黄と鉄分が結びつき黒い硫化鉄となり卵の殻に付着して、黒く変色していることから黒玉子と呼ばれる。黒玉子は1個食べると7年寿命が延びるというふれこみで、軽食・土産として人気がある。

箱根大涌谷

箱根大涌谷の黒玉子
箱根-大涌谷/Wikipedia


箱根-芦ノ湖

湖畔を中心に観光名所やリゾート施設が数多く点在する観光地で、富士山も望める景勝地としても知られている。 近年では毎年正月に開催される東京箱根間往復大学駅伝競走の往路ゴール、復路スタート地点としても知られ、多くの観光客を集める。

湖上には、小田急電鉄系列の箱根観光船と伊豆箱根鉄道(西武グループ)の芦ノ湖遊覧船が運航されている。発着する船着き場が異なり、各系列外の割引券やフリーパスが使えない場合がある。

釣り場としても芦ノ湖は有名であり、ニジマスなどのマス類やブラックバスなど、古くから外国産の魚類が放流されてきた歴史がある。なおブラックバスは赤星鉄馬によって1925年に日本で初めて放流されたことで知られ、バスフィッシングのメッカにも挙げられる。

箱根,芦ノ湖


箱根-芦ノ湖/Wikipedia


箱根-駅伝

関東学生陸上競技連盟(「関東学連」)加盟大学のうち、前年大会でシード権を獲得した10校と、予選会を通過した9校、さらに関東学連選抜を加えた合計20チームが出場する[1]。 コースは、東京都千代田区大手町・読売新聞旧東京本社前[2]から、鶴見、戸塚、平塚、小田原の各中継所を経て神奈川県足柄下郡箱根町・芦ノ湖までの往復で、往路108km、復路109.9km、計217.9km。1月2日に東京から箱根への往路を、1月3日に箱根から東京への復路を走る。

第1回大会は、アメリカ大陸の継走での横断を実施するための代表選考会という位置付けで、1920年2月14日に行われた。これは、1912年のストックホルムオリンピックに出場した日本人五輪選手第1号の金栗四三が、「五輪で日本を強くするには、長距離、マラソン選手を育成すること」と発案したことがきっかけである。また、学生のための大会ということで、午前中は勉強時間に充てるとして、午後1時から行われた。第二次世界大戦中に一時中断され、1947年に復活した。第32回(1956年)から、現在の1月2・3日の開催となった。

箱根駅伝地図
箱根駅伝

箱根-駅伝/Wikipedia

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