トップページ>>ショパンとベートーヴェンの交響曲

前書き

もっとも最初にショパンに影響を与えた音楽は、民俗音楽のポロネーズであり、マズルカであることは疑うことはできない。その後、伝統音楽を学ぶにあたって、おそらく、モーツァルトの影響がもっとも支配的だっただろうが、作品一の《ロンド》にすでにショパン独特のピアニズムが表れていることに驚嘆せざるを得ない。このピアニズムに関しては、ショパンの天才に帰する以外に何か方法があるだろうか。

 イタリア・オペラの影響、華麗なピアニズム、伝統的語法、青春の感傷性などが結びついて初期の傑作、二つの《ピアノ協奏曲》が作曲される。同時に、当時ただのピアノ演奏用の練習曲から、鑑賞的なものに変質しつつあった《エチュード》にショパン独自のピアニズムを盛りこんでゆく。その後、フィールド創案とされる音楽形式、《ノクターン》に一層深い芸術性を与えて、完全に自己の作品として発展させる。

 以上の作品にはすべてモデルが存在した。しかし、ショパン音楽に真の深みを与えてゆく《バラード》《スケルツォ》の場合はどうなのか。ショパン音楽の分岐点ともなるべき、この作品群に対し、少なくともわたしの知るかぎりでは、それらの形式に関してモデルが存在したという記述はない。このことは、ショパンの一つのミステリーとして常に頭の中を占めていた。協奏曲から《スケルツォ》の第一番。

 乘離が大きすぎる。そこに、何かがなければならない。いくらショパンの天才をもってしても、ギャップがありすぎる。人は、なぜ、このショパンの劇的すぎる語法の獲得について何も言わないのだろう。この生涯での最大のクリティカル・ポイントを問題にしようとしないのだろう。わたしは常に求め続け、ついにそれを手中に収めた。

 ベートーヴェンの第九交響曲の第二楽章の〈スケルツォ〉に、形式的、内容的にショパンの《スケルツォ》の、特に《第一番》との類似を認めたのだ。そして、モデルとして提唱するに十分な正当性があると判断した。そこで、その正当性はいかなる根拠に基づくのかを述べてみることにした。

本論

言うまでもなく、両者とも典型的な三部形式である。ただし、導入部がつく。

 ベートーヴェンのほうのイントロダクションは、この曲の第一動機である下降分散形のニ短調の完全和音D、A、F、Dを用いる。弦がトゥッティでターッタタという下降オクターヴの音形を使ってDを鳴らし、全休止、そしてA、全休止、ティンパニがF、そしてふたたび弦のDの後、二つの全休止で合計八小節。すべてフォルテシモで打楽器的である。その後、第一主題となる、上昇しては下降する走句が、まず三回、対位的にヴァイオリン、ヴィオラ、チェロに現れる。

 一方、ショパンの《スケルツォ第一番》では、主調であるロ短調のサブ・ドミナントがフォルテシモで打たれて四小節、つぎにドミナント・セヴンスで打たれて四小節の、計八小節の二つの孤立した和音。そこから、やはり主題となる走句が二回ほど上昇してはためらい、三回目に嵐のように上昇して上のB音まで飛翔する。

 ベートーヴェンのほうのトリオはニ長調となって、「軽快で明るい牧歌風の主題が郷愁的な音符を伴って木管で呈示され、そのあとで弦が深い感情を持って答え」、それは「夢のうちに感じられる『歓喜の頌歌』の旋律の前味である」(ロマン・ロラン)という。ホルンが通奏低音的にトニックの主音であるニ音を吹き続けるのが印象的である。
 一方ショパンでは、ポーランドのクリスマス・キャロル《眠れ、幼子イエス》の、主題と対照的な素朴な旋律が、やはりロ長調の夢見るような優しさで、孤独な異邦人を慰める。そして、このメロディは中音域で歌われ、あたかもベートーヴェンの場合のホルンを擬するかのように、左手はトニックの主音ロ音を通奏低音として奏で、そして右手の高音域では五度の嬰ヘ音を奏してロ調を確定する。

 そして、主部に回帰する直前に、嬰ハ音のオクターヴの中で導入部の二つの和音が強打され、主テーマが再現される。このようなトリオをはさむ明確な三部形式をショパンは二度と用いない。

 冒頭の孤立した打撃音、主部の嵐のような走句、そして郷愁的なトリオの組み合わせ。これだけの類似であるにしても、「ショパンはベートーヴェンの〈スケルツォ〉楽章をヒントにして《スケルツォ》第一番を作った」可能性は十分考えられるのではないか。というのも、前書きでショパンの初期作品に触れたが、こうした形式の作品は一つもないからだ。ショパン作品における最大の問題点は、常に、まず、『形式』なのである。

 さらにいえば、イントロダクションの打撃音、スタカートによるメロディの切断と休止。これだけでも、ベートーヴェンからの影響を考えるには十分である。通常、考えられているように、多くの楽曲において、ショパンのメロディは流麗であり、ベートーヴェンの持つ野性的な激情、それは往々にして強烈な打撃音や突然の休止を伴うが、そうした性質とは相反するものが多いからである。

 華麗で、流麗なピアニズムは、ショパンの天才で説明がつくとしても、それとまったく正反対な要素を多分に含んだ上、第一番から確固とした形式によって作曲される《スケルツォ》に、ベートーヴェンの〈スケルツォ〉をモデルに考えることは、決して無謀な試みではないと思う。わたしの直観はその正当性に微塵の疑問もはさまない。
 しかし、こうした指摘は今までになされたことはなく、かえって、ショパンのドイツ音楽嫌いが書かれている書簡が多いことを盾に、厳密な論証を好む学者たちの、矢面に立たされるだろう。それを承知で、あえて一つの十分に可能性のある仮説を試みたのである。以下、その傍証となる事柄について述べてみたい。


歴史的事実

 ◇ベートーヴェン第九交響曲第二楽章〈スケルツォ〉について

ショパンは、ベートーヴェンのピアノ曲に対しては、ピアノという楽器を超えてオーケストラ的な響きを要求しているとして、あまり好まなかったそうだ。どの評伝にも、ショパンがベートーヴェンを弾いたという記述にはお目にかからないのだが、唯一、ドラクロアがF・ヴィイヨ(当時のルーヴル美術館長)にあてた手紙のなかでこう述べている。

 「ショパンは私にベートーヴェンを実に見事に弾いてくれました。これは一つの美に値します。」(『絵画と音楽』E・ロックスパイザー)

 とはいえ、オーケストラ作品や、弦楽四重奏曲は最上のものと言っている。実際、ショパンは子どもの頃、自宅で室内楽演奏をずいぶんと耳にしていたらしい。とすれば、第九交響曲第二楽章の〈スケルツォ〉とよく似ている弦楽四重奏曲第十六番の第二楽章〈スケルツォ〉を聞いていた可能性は十分考えられる。それを耳にしていれば、交響曲を耳にするか、ピアノ・スコアを見れば、イメージは容易にふくらんでくると思われる。

 一八三〇年、ショパンはウィーンに滞在していた。そこで実際の交響曲を聞くことはできなかったにしても、スコアを手に入れるのは容易にできたはずだ。というのも、ベートーヴェンの交響曲が初演されたのは、一八二四年のことだが、一八二六年にはメンデルスゾーンが全曲をピアノ演奏しているし、(『ベートーヴェンの交響曲』ベルリオーズ)し、楽譜出版もされていたからだ。このときにベートーヴェンの第九交響曲のピアノ・スコアを入手し、十分に検討を重ねたことはおおいに考え得る。

 ピアノで考えるショパンにとっては、オーケストラ・スコアよりも、ピアノ版のほうが都合が良かっただろう。〈スケルツォ〉冒頭の弦のオクターヴ音は、ピアノのほうが打撃的効果が強いからだ。実をいうと、わたしもピアノ・トランスリプションを聞いて、この相似性に気がついたのである。ピアノ・トランスリプションを気かなかったら、こうしたアイディアにたどり着けなかっただろう。>  《スケルツォ》と《バラード》の第一番は、ちょうどこのウィーン滞在期に着手されるのである。パリへの旅の途中で、ワルシャワ陥落を聞き、祖国の悲劇を思い、悲愴な感情になっていたことが手紙に残されている。

 ベートーヴェンは、この〈スケルツォ〉について、こうスケッチしたそうだ。 「やはりこれではない。こんなものは茶番だ。もっと晴れやかなもの、もっと美しいものでなければならぬ」(『第九交響曲』ロマン・ロラン)

 しかし、初演の際、この第二楽章は拍手喝采され、アンコールに答えなければならなかった。このことはシントラー(『ベートーヴェンの生涯』の著者)が「会話帖」に書いており、タールベルク(当時のピアニスト)の証言もある。この楽章を「無拘束な躍動」と表現した堀内敬三はこう言う。(音楽の友社・スコア)

 「スケルツォの中ではこれはもっとも猛烈なものだ。諧謔というよりは狂乱といったほうがよい。迅速激烈にたたきつけてくる熱狂の曲、現世から切り離された魂の気まま放題な乱舞、それがオクターヴに調律されたティンパニの怒号によって強められる。」

 この「野性的な活力」を持った〈スケルツォ〉はベートーヴェンの意にはそぐわなかったかも知れないが、逆にそれがショパンには幸いだったわけだ。

《スケルツォ》の考察

 普通、《バラード》《スケルツォ》という順に考えるが、これは逆で、《スケルツォ》が先んじて、次に《バラード》が生まれる。

 第一番を考えてみても、手を着けたのは三十一年と同年だが、《スケルツォ》は翌年に完成し、《バラード》のほうが完成するのは四年も後の三十五年なのである。二番の場合、《スケルツォ》は三十七年着手完成、《バラード》は三十六年着手、三十九年完成。この年には《スケルツォ》の三番がすでに着手完成させられている。

 常に先にスケルツォが作られ、その後に長年月かけてバラードが作られる。ということは、バラードは、モデルがなかったために、スケルツォの形式を参考にしていたのであり、それだからこそ第一番からほとんど完璧な形式で作られた、という想像がつく。もちろん、バラードには〈叙述〉するという性質があるために、語り口は異なるにしても、劇的な盛り上がりは明らかにスケルツォでの経験が基になったものと思われる。

 もともとベートーヴェンの激情から出発した《スケルツォ》は、必然的に、伝統的な〈諧謔性〉という意味をど返しして、直情的に、ポーランド特有の鬱屈した感情ZALを吐き出すことになる。バラードが〈叙述〉的、客観的なら、スケルツォはまったく主情的、直観的な情念の発露なのである。だから、そこから、祖国ポーランドの旋律が出てきてもふしぎではない。

 しかし、ショパンの音楽的成長はすばやく、一曲ごとに深みが増し、形式は内容を反映して多様性をきわめてくる。冒頭の打楽器的効果だけを比較して見ても、形式が独自のものになるにつれて、徐々に柔らかくなってくる。

 《二番》では、すでに形式がショパン独特のものとなり、伝統的な《一番》の語法の冗長さを超えるかのように書法が簡潔になる。しかし、第二主題の処理の意外さは、形式は簡潔になっても、内容は豊かになるという逆の相関関係を見せる一方、エッセンスのみで構成されたコーダ部分には、ベートーヴェンの〈スケルツォ〉のもっとも驚くべき点がうかがえる。

 《三番》の、不安で何が現れるかわからない混沌から浮かび上がってくる、オクターヴで奏される第一主題の強靱な響きにベートーヴェンを聞く人は少なくない。通常、「すだれ」と呼ばれる中間部の、音が破片となって散って行くような第二主題を経過して、徐々に確信をまして、型通り第一主題が再現される。第二主題の再現では、後半、同主調へ転調されるのは、よく起こることだが、ベートーヴェンの〈スケルツォ〉にも聞かれる。

 そして、圧倒的なフィナーレへ突入する。ここでも、第一主題が簡潔に収縮され、あのベートーヴェンのコーダにおけるモチーフの驚くべき凝縮が聞かれる。こうして聞いて行くと、何と、ベートーヴェンの影響が大きいかに意外な気さえ感じる。
 《四番》において、音楽が変質する。節分音を伴った印象的な主題は、正式な形では六度くり返されるか、その繰り返しを終え、第二主題にはいる間際でやっと一撃がくる。第二主題は、なめらかで優美、左手の分散和音と合わせて、テンポがもう少しゆるやかだったら、ノクターンにしてもよいくらいだ。そして、ふたたび第一主題へと戻っていく。

 そして、この冒頭の五つの和音は、ベートーヴェンの〈スケルツォ〉で、三拍子の主部から二拍子のトリオへ移行するとき、そして、コーダを締めくくるときに使われる、オクターヴのジグザグ音を想起させる。

 ちょっと古いが、諸井三郎が『音楽論ノート』のなかで興味深いことを書いている。

 「ベートーヴェンが書き残した様々なスケッチの中には各種類、各段階の諧謔美が示されている。諧謔美の発展は快さ、面白さから鋭さへの進展であろう。この鋭さというものが批判的精神から生まれてくるのである」「そうなったときには非常に高い精神性を示し壮大美や悲愴美に匹敵するようなものになる」

 SCHERZOとはイタリア語で、「諧謔な」のほかに、「活動的な」「快活な」という、ZALとは正反対の意味がある。これで考えてみれば、この四番が「快活」でも、何の不思議はない。要するに、「運動性」が高いのであり、ZALも激しければ、明るいフレーズも激しいのだ。はたしてショパンが、それを心得ていたかどうかはわからない。
ベートーヴェンの〈スケルツォ〉に、たまたま悲愴美があふれていたのを見つけ、当時の自分の心境を重ね合わせて作り始めたために、ZALが表面に出たというだけだったのかもしれない。しかし、ショパンの天才は〈スケルツォ〉という音楽形式の持つ本質的な「運動性」におそらく気がついたに違いない。

 《四番》においては、第一主題が、ジグザグ状の五つの音から始まる、比較的、穏やかさを持ったフレーズで、第二主題との対比が三番までより弱まっている反面、全体的な優美さ、躍動的な心地好さという点では、四曲中、いちばんかも知れない。

 しかし、劇的な点がないわけではない。とろけそうな第二主題にはいる直前の和音の世界が崩壊するような一撃は、全体が優美であるだけにその効果は絶大だ。このとき、ショパンの諧謔美はベートーヴェンが得意とした悲愴美を一層乗り越えて、精神性のさらに高い躍動美を実現したのだ。諸井三郎はそうしたものの典型として、ラズモフスキーの第三番(弦楽四重奏曲第九番ハ長調 作品五十九の三)の第四楽章を例にあげるが、なんと、そこには《スケルツォ》第四番の、あの〈五つの音〉があるのだ。


川鍋 博


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