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参考

Yahoo!百科事典(バルトーク総論)

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ディスク:1
1. 弦楽四重奏曲第1番op.7,Sz.40
2. 弦楽四重奏曲第2番op.17,Sz.67
ディスク:2
1. 弦楽四重奏曲第3番Sz.85
2. 弦楽四重奏曲第4番Sz.91
ディスク:3
1. 弦楽四重奏曲第5番Sz.102
2. 弦楽四重奏曲第6番Sz.114






















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ピカソ
用意が出来たテーブル


ピカソ
苦行者


ピカソ
競技者


ピカソ
ダニエル・ヘンリー
・カーンワイラー


ピカソ
女の顔


ピカソ
海辺をかける二人の女


ピカソ
草上の昼食











ピカソ
ハンカチを持って泣く女


カンディンスキー
【Composition VIII】











































1. 舞踏組曲Sz.77
2. 2つの映像op.10 Sz.46
3. ハンガリーの風景Sz.97
4. ディヴェルティメントSz.113
~弦楽オーケストラのための


1. 舞踏組曲Sz.77
2. ルーマニア民俗舞曲Sz.56
3. 民謡による3つのロンドSz.84
4. 15のハンガリア農民の歌Sz.71


1. 管弦楽のための協奏曲Sz.116
2. 弦楽器,打楽器とチェレスタのための音楽Sz.106











































































































































1. バルトーク:木製の王子
バレエ音楽「木製の王子」
























1. ヴィオラ協奏曲Sz.120(遺作)(シェルイ版)
2. 弦楽器,打楽器とチェレスタのための音楽Sz.106



















Music for Strings, Percussion & Celesta, Sz. 106, BB 114 (1936)

I. Andante tranquillo
II. Allegro
III. Adagio
IV. Allegro molto

Chicago Symphony Orchestra/ James Levine

Bartok wrote some of his finest music for the Swiss conductor Paul Sacher, in whom he found a particularly sympathetic champion. Music for Strings, Percussion and Celesta, written for Sacher in 1936, explores with great refinement and mastery the musical concepts that Bartok had been developing since the mid-'20s. In the Piano Concerto No. 1, Bartok explored the percussive elements of the piano, coupling it effectively with percussion only in the introduction to the concerto's slow movement. In Music for Strings, Percussion and Celesta, Bartok ingeniously sets the piano with the percussion instruments, where its melodic and harmonic material functions in support of the two string choirs.

Since the early '30s, Bartok had also incorporated elements of Baroque music into his compositions, inspired partly by his exploration of pre-Classical keyboard composers such as Scarlatti, Rameau and Couperin. In reflection of this, Music for Strings, Percussion and Celesta evokes the Baroque concerto grosso, with its two antiphonal string orchestras separated by a battery of tuned and untuned percussion instruments. The work's prosaic title was actually just a working title which was subsequently allowed to stand.

The opening movement, Andante tranquillo, is a slow fugue on a chromatic melody that springs from a five-note cell, each subsequent phrase growing in length and elaborating on its predecessor. At this point, the two string orchestras play together. As the string voices accumulate, the fugue's texture increases in complexity and the chromatic implications of the theme are brought to a rigorously dissonant fulfillment. The fugue climaxes at its apogee with an ominous rumble from the timpani and a loud stroke on the tam-tam. As the fugue folds in upon itself the celesta makes its first entrance with an arpeggiated chord, mysterious and remote. The work subsequently grows from the motivic material explored in this first movement.

Bartok deploys antiphonal string choirs for the second movement, a fast, fugitive piece in which the two orchestras chase each other through a breathtaking series of elaborations on the main theme. In the percussion section, piano, xylophone, and harp take the lead while two side drums (with and without snares) provide emphatic punctuation. The third movement is one of Bartok's most accomplished "night music" pieces, with cricket-like notes from the xylophone, eerie timpani glissandi, fragmentary murmurs, and frightened exclamations from the strings, along with the always-mysterious notes of the celesta floating clear and sphinx-like over the nocturnal weft. The finale, a dance of energy and abandon, restores the antiphonal deployment of the strings and juxtaposes the diatonic aspects of the work's main theme with its chromatic elements. There are also some striking touches like the furious, strummed four-note chords in the violins, violas and cellos that opens the movement, a theme midway through that is based on a repeated note first hammered out on piano and xylophone, and then a grand peroration of the initial fugue theme, now with its intervals doubled and richly harmonized. In the quick coda there is a brief, suspended moment ("a tempo allargando") before the work tumbles to a conclusion in unabashed A major. [Allmusic.com]



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本文

第三章 対の遊び―破壊と創造

弦楽四重奏は、メロディ、内声部、バスという音楽の基本部分が、最少の弦楽器奏者によって構成された演奏形態であるが、その簡潔さと厳格さのためか、一般には管弦楽ほどの人気はない。しかし、音楽の本質を追究する真の作曲家は、この演奏形式を好んで自己の思想表現の手段とした。

ベートーヴェンの十六曲の弦楽四重奏曲は、不滅の金字塔と言うべき、この楽曲型式での音楽を最高度に完成させた作品で、彼の九つの交響曲とともに後世に残る絶品である。

『主題とその展開』の関連性をこれほど明確に表す楽曲形態は他に例がなく、ベートーヴェンはその堅固な型式すらも超越して至高の境地に達した。精神性においてベートーヴェンを超えるものはいないと思われていたが、バルトークの六つの弦楽四重奏曲は、その精神を継ぐものとして、また、ある種の事柄においてはそれを凌ぐものとして遺された。

弦楽四重奏曲の第一番は、すでに第二章において触れたが、音楽の破壊と創造という過程を如実に示すものとして、実に貴重な存在である。まず、この考察から始めよう。

第一楽章は〈シュテフィのテーマ〉が旋法上の変容を経て、ジグザグ状の四音で提示される。単独に置かれた音は、音楽を形成しないことが混沌の裡に明らかになってくる。ここでは持続旋律である〈シュテフィのテーマ〉も楽音分析的に破壊され、単音に成ってしまう。それは、われわれの回りを日常取り巻いている雑音の一種に過ぎない。

音楽と言えば聞こえは良いが単音では音楽にならないという、最も基礎的でいて、最も見逃されがちな音楽上の基本的事項へとわれわれを連れ戻す。音楽はあたかも生命の原子状態の雑然さを表すかのごとくレントで、各音同士間の関係が不明瞭な音の集合として演奏される。

第二楽章で、ようやく、音楽の最少単位は二音の音程差であることが、その差の最少な短二度(半音)で提示され、そしてジグザグ状の〈シュテフィのテーマ〉の残骸に付加される。短二度の下降、上昇により始めて、旋律の最少フラグメントが与えられる。

しかし、いまだそれは音楽が生まれる前の萌芽として感じられるにとどまり、次の楽章において実際にそのフラグメントを基に旋律が創られ、真の音楽としての全貌を現す。

第三楽章は、第二楽章の、言わば実践である。〈二連打音〉を連想させる〈短二度音〉の下降上昇により、〈シュテフィのテーマ〉が再構成されて、見事に一つの旋律として再生する。テンポもアレグロとなり、三連続音も加わり、リズム変化も付加され、オスティナートと組み合わされて、対位法的な技法も現れる。

第一、第二楽章の解体、再構成の作業が、ここでようやく実を結ぶのである。持続は長くはないが、『主題とその展開』という音楽創造上第二の課題がここではなし遂げられる。その意味において、この弦楽四重奏曲第一番の存在意義は計り知れないものがある。既存の型式の破壊と、破壊された残骸からの創造という過程を、一つの音楽作品という時間持続に全く依存する真に抽象的な芸術のなかで結晶させるのだから。

弦楽四重奏曲第一番の楽章構成は、全く常識を破るものだったとは言え、破壊から創造への道程を開示する方法と考えれば、自然すぎるほど自然である。一九○八年にこの第一番が創られて七〜八年後の一九十五〜十七年にかけて第二番が創られたのだが、伝統的な楽章関係から考えれば、(緩―急―緩)の三楽章から成るこの曲のほうが余程不可解である。

第一楽章では、第一番で示した主題の展開方法が復習され、第二楽章ではその成果が示されると、第三楽章ではまたレントになってしまい、まるで今まですべてのことを総括するように静かに曲を終える。

第一楽章、第二楽章で提示されたテーマとその展開の仕方を反省するとともに、バルトークの作曲技法の講義の終了がここで告げられるのである。

一九二七年に創られた第三番は、単一楽章でありながら、伝統的な(急―緩―急)の内部構成をとって、これ以上切り詰めようのない凝縮された音楽を聞かせる。ここにはバルトークの完成された語法のすべてが詰まっているが、その極端な凝縮性のため、演奏時間はわずか十五〜六分しかかからない。第四番、第五番はバルトークの好んだシンメトリカルな五楽章型式を採るが、内容は第三番の延長である。

第六番は、古典的な四楽章すべてに〈メスト〉と付けられた、故郷を離れる惜別の歌であり、悲しみの情が全楽章を覆っている。バルトークには例外的な一曲だ。ここでは技法上の発展よりも感情表現に重点が置かれている。

珍しく線的な旋律に全体が支配されており、弦楽四重奏曲全六曲のなかではその意味で最も古典的であるが、それまでの五曲によって試みられた技法がすべて駆使されていて、比類のない透明感と、時には絶叫とも聞こえる悲愴感が冷酷なまでに純粋な形で表現されている。

感情移入を極力避けようとした、後期のバルトークには空前絶後の出来事と言って良いかも知れないが、「感情表現ほどたやすいものはない」という一種の自負から出たものと言えなくもない。が、バルトークも人間である。住み慣れた故郷を後にすることがいかに辛いことか、そうした情には勝てなかったとするのがフェアな解釈だろう。

バルトークの、音楽への信頼感が、こうした混じりのない表現を可能にしていると考えるのが普通だが、そうした創作が可能になるのも、弦楽四重奏という最も簡潔な演奏形態をとったことによると思われる。

総じて、弦楽四重奏においては、バルトークは二次元平面に属する概念を表象している。ピチカート奏法は〈点〉を想起させる。持続的旋律は〈曲線〉を意味する。グリッサンド奏法は〈孤〉を描くような効果を追加する。オスティナートは、〈点〉、〈線〉と「点の延長は線である」という、マクロ的な意味では正しい命題を与えるし、持続旋律の後の〈二連打音〉は〈鋭角的〉な印象を与える。

フレーズの休止は、ピアノ曲のような〈空間的な間〉を与えない。四度関係を中心とした和声法や、対位法は〈面〉的である。このように二次元的な印象を受けるのは、線的持続的な旋律を奏でるのが得意な弦楽器郡の集合体が、弦楽四重奏であるからであろう。

〈線〉はユークリッド幾何では、「点の延長」つまり「長さは持つが面積を持たないもの」と定義される。同様にして、〈面〉は「線の延長」つまり「面積は持つが体積は持たないもの」と定義される。〈線〉は〈面〉に跳躍できないのと同様に、〈面〉は〈立体〉に跳躍できないのである。

〈音〉は、そもそも三次元空間を満たす物体を媒介して、〈波動〉の一種としてわれわれの耳に届く。が、三次元性を感じさせるかいなかは別問題である。絵画そのものは平面でありながら、奥行き、つまり三次元性を感じさせるものもあり、平面性しか感じさせないものがあるのと同様である。

刺激そのものが三次元的であることと、われわれがそれを三次元的と感知することとは、全く別の観点から考えなければならないことなのだ。

したがって、音楽の次元性を論議の対象にしたところで、観念の混同はなく、それゆえにバルトークの弦楽四重奏曲の平面性を論じることが可能になる。しかも、バルトークの音楽の〈本質〉は、実は、こうした外観的諸性質にはなく、〈本質〉そのものにあるのだが、それは本稿の主眼でもあるので、後に再び十分に考察を加えることになるだろう。

  このように、バルトークの音楽は、〈もの自体〉ではなく、その〈本質〉を象徴する。こうした抽象化は、象徴性のみによってわれわれに開示されるのだが、音響という純粋持続に依存する芸術から抽き出すのは、至難な技である。視覚に頼ることは、聴覚を鈍らせる危険はあるとしても、大脳における概念操作が困難を極める場合、やむを得まい。

〈破壊と創造〉とくれば、ピカソ以上に、これを美学上のドグマとし、それに従って芸術活動を行ったものはいない。〈破壊〉と〈創造〉はすべての思想、芸術に〈生命力〉を与える必要十分条件であり、この本質的な観念そのものを芸術の目標としたピカソが、絵画史上、最大の巨人であることに誰も反論しはしまい。

その本質的な点で、音楽上のバルトークと競うのであるが、しばらくは両者を対比しながら、この観念を生み出す〈生命力〉について眺め直してみよう。

ピカソが十代のときにすでに印象派絵画の技法に習熟していた事実は、バルトークがやはり若き時代にロマン派主義音楽の語法に熟達していた事実と一致する。この一致は、美学を考える上で重要である。というのは、美学は常にそれまでの伝統から出発して、新奇なものへと発展せねばならぬ運命を背負っているからだ。

また、芸術が自身の重みで身動きできなくなっているとき、そこから新しい伝統を作り出して行くことがいかに困難であるかも凡人であるわれわれに示してくれる。その点において、絵画上のピカソと音楽上のバルトークの存在の巨大さは常識をはるかに超えたものだ、と再認識させられる。

〈青の時代〉〈ローズの時代〉のピカソは、ほとんど形態の輪郭の精密な描写にしか興味を示していなかったかのように思える。その一本一本の線が対象に肉薄していく様は、遺された作品、デッサン、習作に如実に現れている。無駄な線が徐々に減少していき、対象を表現するのに最小限度の線だけが残るようになるのだ。

この時、すでにピカソは物体の三次元性を二次元平面に移すことの至難さを感じていたと思われる。一方バルトークは、逆に弦楽四重奏曲で、もともと三次元空間なくしては存在し得ない〈音〉によって平面性を強調しようとしていた。

ピカソは、バルトークが異国音楽に魅せられたと同じように、黒人彫刻に興味を惹かれ、単純な平面によって切りこまれたその彫刻を自らも試み、絵画平面に三次元性を持ちこもうとする。幾何学的なデッサンをしたり、単純な平面構成によって対象を表現したり、影を加えて立体性を強調し始める。

〈青の時代〉〈ローズの時代〉に失なわれていた色彩は復活してくるが、まだ色自体に対する感覚的知的考察は行われない。その前に、いかにして画布と言う二次元平面において、三次元性を表現する、もしくは見るものに感じさせるか、が問題なのだ。

ピカソは、物体の三次元性について分析し始める。セザンヌの「自然を円筒と球と円錐とで処理すること」という言葉がどのような影響を与えたか知らないが、ここからいわゆる〈キュビズム〉に入っていく。

キュビズムという名称は、マチスがブラックの作品を見て、「小さな立方体(キューブ)の集まりだ」と評した言葉に由来しているが、ピカソ自身に物体の形態に関する分析への内的衝動がなければ、こうした新技法へ誘引されずに終わったはずで、もしそうならば、その後のピカソは存在しないだろう。

物質を三次元の幾何立体に還元していくことは、当然、自然のままの物体をいったんバラバラに〈破壊〉しなければならない。ちょうどバルトークが旋律を解体して一つの音にまで還元してしまったように。

こうしたキュビズムと呼ばれる創造型式は、絵画においておそらく始めて科学的理論を基盤にした〈印象主義〉が産み出されたその延長でもあった。印象派がヘルムホルツの「物理学に属する光学理論」を理論的基盤としたのを、キュビズムでは、「幾何学」に取って換えただけである。

それは新時代への創造へ向けての一つの時代の要請でもあったがゆえ、ブラックやグリスらの〈立体還元主義〉に賛同する仲間がいて当然であった。〈派〉で言えば〈立体派〉、一般には〈キュビスト〉たちである。

とはいえ、ピカソが他の画家と根本的に異なっていた点は、物質の構成要素への分解はそれ自体が目的ではなく、真の〈創造〉のための単なる通過点に過ぎなかった点である。それが偶然、時代の流れと合したために「〈キュビズム〉という〈イズム〉に与した」と見なされただけであり、その意味では〈キュビズム〉の絵を描きながら〈キュビズム〉から最も遠くに離れていた。

ちょうどバルトークが民謡を研究していながらも〈民族主義〉、〈民俗主義〉とは全く離れたところにいたように。蛇足だろうが、このように数多くの点でバルトークとの相似点が見られるので、ピカソについて考察しているのである。この考察はまだ続く。

その後ピカソは〈総合的キュビズム〉と呼ばれる、キュビストたちすら作品上でも離脱した段階に入っていく。題材はただ分析されるだけでなく再構成されるが、幾何学への執着からいまだ断ち切れずにいて、人の顔は長方形や正方形の輪郭に、円や三角形の目鼻がついていたりする。

静物画ではコラージュ技法が取り入れられ、日常上的な題材に新聞の切り抜きや板切れが貼りつけられたりするのだが、最大の異変は、〈青の時代〉や〈ローズの時代〉、〈キュビズム時代〉にはなかった色彩が戻ってきたことだろう。

話を急ぎすぎた。〈総合的キュビズム〉に達する前に、ピカソは寄り道をする。〈新古典主義〉と言われる時期である。これにも言及しておかねばならないだろう。

こうした物質の要素への破壊を経て、到達した〈新古典主義〉では、解体された対象がまず再構成される。ここでも未だ幾何学から脱し切れずに、対象は幾何学的三次元的な立体的表象により実物よりもはるかに肥大された形態に描かれるが、その肉厚のボリュームは対象の比類ない存在感と〈生命力〉を、見るものに感じさせる。

一見するとギリシァ彫刻の模写と誤解されても不思議はない人物群には、キュビズムによる反省を通過したせいで、画面から飛び出してくるような超二次元性が与えられている。 この時代の作品群の対象は主に人物あって、色彩は戻ってきたがまだ画一的な印象は払拭できない。

理論的に進み過ぎた美学は、伝統回帰によりバランスを保とうとする。それがすべての〈新古典主義〉の意図である。が、美学が進み過ぎなければ、こうした古典回帰も起こらずに、真に芸術を発展させる内的衝動も起こっては来ない。ストラヴィンスキーの新古典主議は、音楽分野では最も顕著なものであるが、晩年のバルトークの作品にもこうした傾向がうかがえる。

つまり、開発した美学が完全に自分のものになった時、それは形式的なものから精神的なものに変容して、新しく埋まれた美学の裡で〈精神〉はどのような外的型式にもゆるぎないものになっているので、型式は簡素で古典的な様相を呈するようになるのである。

ピカソの巨大な点は、更にここから出発することである。それが〈総合的キュビズム〉なのだ。どこにこのようなエネルギーが潜んでいるのか、全く常人の理解を超えている。この後の作品が、一般にピカソの作品のイメージを与えるものであり、点数から数えれば、それまでに創作してきたものすべてを超えるのではないか。その創造力たるや凄まじいものがある、と言うしかない。

様式の点では、それまでピカソの追求してきたものすべての総合である。対象の分割は再構成の時に本質を捕らえているので、もはや元通りの配置にはならない。それが〈デフォルマシオン〉の起こる真の理由だ。色彩においても、画題(主題)を表現するのに最も適切な色を選ぶ。当然、彩度の強い原色にならざるを得ない。すべて、必然的な結果なのであり、それはピカソの言葉に端的に表されている。

 「昔は絵画は発展的に完成に向かっていた。日々は新しい何物かをもたらした。一枚の絵は足し算の答えであった。私の場合には、一枚の絵は、引き算の答えであるのだ。私は一枚の絵を描く………それからそれを破壊する………」

この信条が、ピカソの尽きせぬ想像の源泉なのである。対象の本質以外のものはすべて引き算してしまう。その上破壊し、さらに創造に向かうのだ。その作業の繰り返しの結果、何が残るかと言えば、〈本質〉そのものになるのだが、〈本質〉自体は不可視であるゆえに、それを〈象徴〉する何物かが画面上に残る。これがピカソの抽象画なのである。

長々とピカソについて述べてきた。その訳は、すでに述べたが、〈本質〉の追求に一生、情熱を燃やし続けた点でいくつもの類似点がバルトークとの間に見られるからである。バルトークの弦楽四重奏曲も〈引き算〉の結果と、〈破壊〉の繰り返しにより、最後にはこれ以上何も引くものがない作品に到達したのだ。

この〈引き算〉は、真に偉大な芸術家が晩年に行う唯一の演算だ。〈本質〉以外はすべて作品から除去していく。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲、ピアノソナタ、交響曲の後期のものを聴きたまえ。これが引き算の結果でないとしたら、〈引き算〉とは一体何なのか。

ピカソの場合には、表題に〈コンポジション〉と付けたものはないが、抽象化が進むと、もはやカンディンスキーのように唯〈コンポジションX〉とする以外に題の付け様がなくなる。〈コンポウズ〉という言葉のもともとの意味は、「あるものを、ある素材を用いて作りあげる」ということだが、それから派生して次の様な意味が生じる。「一・構成する 二・作曲する 三・絵を描く」。

従って、その名詞形である〈コンポジション〉は、「一・構成物 二・作曲 三・絵画作品」という意味合いになり、カンディンスキーの場合には、〈構図X〉、〈作品X〉のような邦題が与えられる。なお、語源を同じくしても英語には、独語仏語にはない「詩を創る」という意味まである。

語の原義を考えると、バルトークは、真の意味での〈コンポウザー〉であった。いく種類もの素材を結合させて、一つの完成物を作り上げる。それは曲の様式において、リズム、和声、旋律にわたるすべての完成品でなければならない。

大事なのは、その曲の――

「本質が実存に先立っていなければならない」

――ことだ。そうして出来た作品の完成度は比類無く高い。知的ではあるが、バルトークは音楽の生成過程を民謡分析の作業で自分のものとしてきているだめ、〈生命力〉を決して失わない。

ヒンデミットや、新ウィーン派の作品の限界は、ひとえにこの〈生命力〉が欠けていることにある。西欧音楽の行く着く先は、この〈生命力〉を欠いた〈無調音楽〉であったが、それを救ったのが正当な伝統からはずれたバルトークであったのは、皮肉と言えば皮肉である。

西洋の〈知〉に対し、言わば東洋の〈感覚〉がバルトークの中では何の無理もなく融和していたために、音楽史上、まれに見るコンポウザーが誕生したのである。バルトーク自身は、「真のハンガリー音楽」を目指していたらしいが、その実、「真の世界音楽」を創っていたのだ。

〈民族性〉から出発して〈普偏性〉へたどり着いたバルトークは、どの作曲家よりも勝れたコンポウザーであったと言って良かろう。歴史上、音楽という芸術分野において〈世界音楽〉を、真の意味で作曲した音楽家は一人もいないのだから。

しかし、バルトーク自身は「真のハンガリー音楽」〈活きた音楽〉を常に目標に置いていたことは既に述べた。「ブダペスト市創立五十周年記念式典」のために一九二三年に《舞踏組曲》を作曲する、その曲からバルトークの真価が発揮される曲が創られ始めることも皮肉めいている。その年から一九四〇年にアメリカへ亡命するまでがバルトークの作曲活動の最も充実した時期であり、主要作品が続々と誕生するのである。

ピアノ作品の《ソナタ》、《戸外にて》も一九二六年に作曲されるのだが、ピアノ作品へ神経が集中していたためかオーケストラ作品の《舞踏組曲》もピアノ独奏用に編曲される。この充実期の原曲とピアノ編曲を比較すると、バルトークの楽器の特性を発揮させる本能的な才能に感服せざるを得ない。普通、作曲家はまずピアノ譜を完成させてからオーケストラ用に編曲するものだが、ここではその過程が逆になっている。

原曲は標題通り、数々の民謡主題による組曲だが、音楽はもう完全にバルトークのものに成り切っている。ここには〈チェイス〉も〈夜の音楽〉もあり、こうしたピアノの持つ特性を発揮するにはピアノ・ヴァージョンが勿論有利であるが、オーケストラ・ヴァージョンの各楽器の音色を活かした色彩感には目を見張るものがある。

各々が全く別の作品と思えるほど、オーケストラ・ヴァージョン、ピアノ・ヴァージョンともに特性を活かし切っている。この各楽器の適材適所の使い方、楽器編成の長所の活かし方の把握が、各ジャンルにおいて珠玉の作品を産み出して行くのである。

《二台のピアノと打楽器のためのソナタ》《ピアノ協奏曲第二番》《ヴァイオリン協奏曲第二番》などはその代表的なものであろうが、バルトークの最高作品と考えられるものは何と言っても《弦楽器、打楽器、チェレスタの為の音楽》に留めを刺す。

ここでバルトークの美学は頂点に達する。その後の傑作は頂点を極めたものにしか訪れない至高の境地から産まれてくる、精神が肉体を遥かに上回った作品群なのである。必要なのは確固とした音楽に対する理念、つまり音楽上の美学である。それは感覚面においては生得的な要素も参与するかも知れないが、究極の音楽創造のために払って行く探究心と、地道な努力によって形成される。

具体的に言えば、バルトークの場合には、民謡採集という形而下的な作業、さらにその音楽誕生の生きた過程を具現する旋律法、調性、リズム、ハーモニーなどの形而上の理論の確立であった。こうした肉体的感覚と理論上の鍛練はバルトークの精神上の〈本質〉に於いて、驚くべきバランス感覚をもたらした。

ただの感覚といってはいけない。バルトークの場合常にそれは〈知的反省〉によって実現されるのだ。つまり、美学――というよりは〈意志的〉な精神力言ったほうが良いかも知れない――の裏づけがあってこそ、〈知情意〉兼備の音楽創造が可能になったのである。

〈美学〉とは、既に死語になりつつある言葉だ。醜悪なものにまで美を認めるようになった理念のはびこる時代は、神聖で確固たる〈美学〉を保ち得ない。感覚的なものだけに頼り、それを判断の基準にする時代に、〈美学〉は無用の長物なのかも知れない。

その点、バルトークの音楽は堅牢な〈美学〉に支えられている。その〈美学〉は、並外れたバランス感覚と、すべてのものを取り入れる反省的知性により、完全に消化される種のもので、二者択一的な概念を相互補完的に昇華する、前代未聞の音楽を創り上げることが可能なのだ。

相補的二概念の典型的で、音楽創造上最も重要なのは〈民族性〉と〈普遍性〉であろう。〈普遍性〉とは、「音楽市場の流れに属する音楽」くらいの曖昧な定義付けしか出来ないので、〈民族性〉というのも集合論的に言えば〈普遍性〉の要素となる。

民族的でしかも普遍的な作曲家の代表としてドヴォルジャークやチャイコフスキーの名が挙げられるのはこうした曖昧さが原因なのだが、厳密な定義はここでは不必要と考えるので、深くは立ち入らずに一般的な言い方で済ませても支障はきたさないだろう。

バルトークの場合の〈民族性〉は二重の意味で作曲家に貢献している。外面的には、ハンガリー周辺地方の民謡旋律の〈生命力〉をバルトークに感じさせた点であり、本質的には、そうした〈生命力〉を持った音楽の生成過程を開示した点である。そしてこの後者こそバルトークの美学を基礎付け、真の創造を可能にしたのである。

バルトークの民謡旋律に対抗するものは、知的な音楽理論の発展、つまり、従来の調性を破る十二音音階、つまり全音音階の旋法的な発展と、それに付随する和声理論の刷新、そして固定的なリズムの再考であった。

バルトークは若い時分その二つを切り放して考えていたのだが、徐々にその二つのものが結合し始め、その結合が成功したと思われる第一の作品が《舞踏組曲》であった。これが《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽》に発展することはすでに言及済みだ。

《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽》では、まず音楽の生成を暗示するような静かで混沌として不安定な序奏が示される。つづいて、常に流動するリズムとテンポ変化の上に、民謡素材に似た旋律、全音音階や教会旋法とその混合による新しい旋法による旋律、配分法等の十二音音階技法に基づく旋律が、それらを位置づける和声や対位旋律を伴って見事に調和した、〈生命力〉溢れる音楽が展開されるのである。

すべてのものが各々の個性を発揮しながら一つの統一した世界をつくる――これこそ正しくバルトークの世界である。〈個〉と〈全体〉は互いに他を助け合う、つまり〈個〉は〈全体〉の中で自己を活かし、〈全体〉はそうした〈個〉の集合として統合されるのである。《管弦楽のための協奏曲》は〈個〉と〈全体〉の関係をそれまでの作品には見られないほど見事に昇華させている。

この協奏曲の創られた晩年の作品を「バルトークらしい厳格さの欠けた作品群」として非難する向きもあるが、その見解が誤っていることは《ソロ・ヴァイオリン・ソナタ》が証明してくれる。自己のスタイルを完成させたバルトークは、それ以後いつでも〈バルトーク〉なのであり、手を抜いたいい加減な作品は一つとしてない。

この〈民族性〉と〈普遍性〉の総合に付随して、いくつかの対立概念も融和される。例として〈伝統〉と〈新奇〉と言った点では、同じように伝統を打ち破った新ウィーン学派は、その理論確立のために音楽そのものを失ってしまったが、バルトーク一人だけは本筋を失うようなことはなかった。

 次の〈時間性〉と〈空間性〉については、数多くの対立概念が付随する。 まず〈幽閉〉と〈開放〉という問題がある。〈幽閉〉という言葉には否定的なイメージがあるが、ここでは「ある対象に余分なものを付加しないで無垢の状態におく」という意味で用いたい。

その意味ではバルトークは〈音〉の集合である旋律に、〈音〉以外の何物も含ませなかった。音は〈音〉自身の中に閉じ込めた。そして、〈音〉本来の性質内で二次元から三次元へと〈開放〉した、と言える。

このことは、一九二七年を境にして、それ以前の模索期にはさまざまなジャンル上の試みをしているのに対し、それ以後の成熟期には〈絶対音楽〉しか創らなかったことに如実に現れている。〈交響詩〉等というすでに表現する対象が具体的に定まっている音楽では、〈音〉そのものから成立している純粋な真の〈美〉は表現できない。

そして、音楽に、想起されると期待されるイメージを前もって与えるのではなくて、音楽を構成していいる〈音〉そのものを、われわれの存在している三次元空間へと〈開放〉したのだ。

この概念は〈凝縮―拡散〉という概念にもオーヴァーラップする。音楽は余計な挾雑物を取り除かれて、〈本質〉のみから成立する密度の高い塊へと〈凝縮〉する。この世界はミクロコスモスだ。それがマクロコスモスへと拡大〈拡散〉する。ここでの〈拡散〉とは〈本質〉の結合距離が延びただけで、その結合力が弱まったり、邪魔者が入りこんで巨大化することでは、決してない。

弦楽四重奏曲は総合的な音楽演奏の最も凝縮された演奏形態である。従って、〈凝縮性〉がこの演奏形態に最も感ぜられるのは当然のことだ。それは〈緊密感〉であり、〈緊張感〉でもある。既に形式上の美を失ったロマン派の弦楽四重奏に魅力的な作品が少ないのは、こうした精神上外的形式上の〈緊密感〉に欠けるものが少なくないからだ。その点でバルトークの弦楽四重奏曲は伝統的型式には従わないが、〈凝縮性〉では他の誰の作品よりも上回る。時にはあまりの緊張感に聞き手が耐え切れぬ事態さえ生ずる。

ベートーヴェンの作品には俗世間の垢に汚されぬ崇高さがあり、神に繋がっている感さえ与えるときもあるが、一方、バルトークの作品は常に人間界に留まりながらも、神を喪失した人間が直面せねばならぬ精神的葛藤の激しさ、厳しさを厳しさを与える。そしてこの精神上の戦いは、このジャンルの作品の中だけでは納まらないのである。

管弦楽作品は、外的形式的な演奏形態から考えても、最も〈広さ〉を与える。そしてそれは、作曲家が最も巧みに自己表現できる場でもある。このことは、バルトークにおいても例外ではない。

《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽》には管楽器こそ欠けてはいるが、各種打楽器、ピアノが加わっていて、その音響効果は管弦楽オーケストラに一歩たりともひけはとらない。「この作品がバルトークの最高傑作である」とは何度も述べたが、それはこれまでに列挙した相補的概念がすべてこの曲に〈凝縮〉して表現されているからだ。

この曲は、〈混沌から宇宙創世〉〈無機化合物から生命発生〉の音楽である。雑然として何も形を成さないアンダンテ・トランクィロからアレグロへの移行自体が、その観念を表している。二度目のアダージョからアレグロ・モルトへの移行は、「無秩序から高等生物への進化の繰り返し」という、宇宙の〈本質〉、〈存在の実体〉を象徴していると考えても何の不思議もなく思える。

「この曲が最高傑作だ」という根拠はこうしたところにあるのだが、この曲の技法はそれだけで済むようなものではない。独特の四楽章構成の外的形式、それは前述の観念を表現するのに不可欠な様式であるが、念を押すように最終楽章までもアダージョに始まりアレグロで曲を閉じるのである。この楽章だけにも〈本質〉が更に〈凝縮〉されているのだ。

その点でもバルトークの最も密度の高い曲といって良い。内容的、外的形態的に二重の意味でこれ以上に〈凝縮〉不可能な音楽、それが《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽》なのだ。ここでも勿論〈拡散〉は行われている。「無機化合物の無秩序な運動→原始生命の誕生→高等生物への進化→宇宙への還元」という過程自体が、〈拡散〉を意味してはいないだろうか。

音楽表現上では、終楽章において混沌の後に躍動的なテーマがアレグロ・モルトで再現され、一挙にアンデンテにテンポは落とされ、弦楽器のトウッティでテーマが再び弱音から強音にクレッシェンドされながら三回繰り返す。その時にテーマは段階的に大きくなって、三度目にはフォルテシモに拡大されて爽やかともいえる程に堂々と奏でられる様は、〈拡大〉、換言すると、ここでの意味での〈拡散〉と表現する以外にないのではないか。

《管弦楽のための協奏曲》でも、こうしたすべての相補的概念が総合されている。〈原始的〉〈粗野〉〈肉感性〉といった概念までもが、それぞれ、〈現代的〉〈洗練〉〈精神性〉という対立概念と総合されて、完璧な一つの世界を形作っている。

時折、姿を見せる金管楽器の旋律は、《木彫り王子》《中国の不思議な役人》では〈肉感的〉な感じを露骨に表現していたのだか、ここではほとんどコラール旋律といってもよいくらいに〈精神性〉を高められたフレーズを歌っている。 

まず、冒頭の低弦が上昇していき、フルートに受け継がれ、金管がファンファーレを奏でると、混沌が徐々に収まり、低弦が音階的な六連音をくり返し、ゆっくりとアッチェレランドするのと並行して、その六連音はオーケストラ全体に拡大され、〈生命力〉豊かで堅固なテーマが始められる。ここまでの過程で、〈混沌―秩序〉〈素材―建造物〉〈凝縮―拡散〉という創造に関する諸概念が、すでに弁証法的に融合させられている。

第三楽章は典型的な〈夜の音楽〉であるが、以前のような、熱帯雨林に毒蛇がするすると地面を這って今にもこちらを襲撃せんとするような、不気味な不安感はなく、天啓が与えられる直前の浄化された静けさに変容している上、実際に耳に届くものには荘厳な弦楽器群の旋律に金管楽器のファンファーレさえ加わっている。

全体に平穏で爽やかな気分に覆われているが、それはほとんど楽章を通じてフルート、オーボエの高音木管楽器の旋律がなだからかに流れているからだろう。ここで、弦楽器で奏でられるテーマは実にロマンティックであるとはいえ、〈シュテフィのテーマ〉のように愛を連想させるものはでなく、そうした男女間の愛を超越した、自然そのものへの大いなる〈愛〉なのだ。

終楽章は、天からの恵みに対する感謝と、〈生〉の賛歌である。音楽はソフィスティケイトされているが、誰の心にも存在する素朴な〈生〉の喜びは忘れていない。第二主題は始め短調で提示され、金管楽器による長調のファンファーレとなり、〈協奏曲〉の通り、各楽器に渡されていき、最後は歓喜の爆発に終わる。

青年期の攻撃的なバルトークを思うとき、いくら祖国を離れなければならないという外的事情があるとは云え、ここまで音楽が浄化されるとは誰人が想像し得たであろう。

円熟期にはいると、芸術家の反省的知性は、歴史を振り返り、自己の作品を振り返ることはよくあることだ。そして自分が吸収したものすべてを含んだ作品を創造する。その時、その作品では精神性が形式をはるかに上回っていることが多い。バルトークはその最も典型的な芸術家であり、若い時分は衝突しあっていた対立概念が、晩年になって弁証法的に昇華されて何の不思議があろう。

《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》の楽章名に[フーガ]とか[シャコンヌ]とかが現れてどこがおかしい。《ヴィオラ協奏曲》や、《ピアノ協奏曲第三番》の緩徐楽章には〈アダージョ・レリジョーソ〉とさえつけられるのだ。〈レリジョーソ〉の原語は religioso であり、religion とは〈宗教〉という意味なのだから。


図5.ヴィオラ協奏曲

シュテフィと宗教感の相違で(当時バルトークはニーチェに傾倒していた)決裂したバルトークは、もうここにはいない。ゴッホの「宗教がどうしても必要と感じた」その宗教とは異なるだろうが、バルトークも、自身の宗教感についておそらく幾度となく思念を凝らしたに相違ない。

 本質的な音楽には本質的な論議で締めくくろう。

ここまで相互補完的な概念の昇華としてバルトークについて述べてきた。さらにその本質をついてみればふたたび〈破壊から創造へ〉という概念が浮かび上がってくる。本質へ本質へと探った結果である。この辺でバルトークの音楽をそろそろ〈破壊から創造への音楽〉としても良いのではないか。

そして、未来の芸術をも包含するだろう美学を定義すべき時がきたように思われる。

 「美とは、人間の根源的な生の本質を想起させる、独創的な一つの表現形式である」

こんなところでいかがだろうか。こうするとバルトークの〈チェイス〉したものも見えてくる。つまり、「真の音楽の形式的音楽への還元」ということだ。〈真の音楽〉とは「人間の根源的な生の本質を想起させる」ものであり、それを表現するためには、あらゆる音響的素材を総合することが必要であり、形式を与えるためには、創造そのものの過程を音楽の中に表現する必要があった。

バルトークを、「破壊と創造の音楽家である」と位置づけたのはこのような理由による。こうして考えてみれば、第一章・第二章・第三章での逸脱とも思われそうな例示や、引用がすべてこの結論へ達するための手段であったことに納得して戴けることと思う。

バルトークという、「創造の過程を音楽に表現せざるを得なかった芸術家」を語るには、こちらもバルトーク音楽の生成過程を示す必要が是非ともあった訳だ。

今や、すべての画家、および鑑賞者は「破壊と創造の画家」ピカソを通らずには済まされないように、すべての音楽家、音楽愛好家は、「真の音楽を創りたい」「真に音楽を楽しみたい」ならバルトークを通らずには済まされないところにいる。そして、そこからが、また、真の出発点でもあるのだ。

幼児が言葉を覚えるときは、母親に教えられる。これは知性の初めはまず誰かに教えられることを示している。畢竟、言葉は語るのではなく、〈教える〉のだ。同様に対話もつまる所〈説得〉である、というのはヴィトゲンシュタインの言語観である。この語り口を利用すれば、バルトークは音楽を〈教える〉のであり、聴衆を音楽で〈説得〉する。従って聴衆の側に「学び何かを得よう」という積極的な意志がなければバルトークとの意思の疎通は不可能になる。

バルトークの音楽に大衆受けしない作品が多いのはこのことが原因している。人は年令に比例して学習をその分拒否するようになるのが普通だ。しかしこれだけ文明の進歩した世界に生きている我々が学習意欲を喪失したら、一体世界はどうなるのか。美術にしても文学にしてもわれわれには膨大な歴史的遺産がある。

「真実を知ろう」と思うなら学習は避けて通れない。われわれがそうした意欲を失ったなら私たちの子孫はどうなるのか。気分に打ち勝つことをバルトークは〈教える〉。そして意欲したものだけが真の〈生〉に到達できるのだ。

バルトークの難しさは「生きている事実」ではなく「生きる難しさ」なのである。



では、ここで最後に《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽》の演奏を聞いていただきましょう
Bela BartóMusic for Strings, Percussion & Celesta, Sz. 106, BB 114 (1936)
I. Andante tranquillo
Chicago Symphony Orchestra/James Levine


Bela BartóMusic for Strings, Percussion & Celesta, Sz. 106, BB 114 (1936)
II. Allegro
Chicago Symphony Orchestra/James Levine


Bela BartóMusic for Strings, Percussion & Celesta, Sz. 106, BB 114 (1936)
III. Adagio
Chicago Symphony Orchestra/James Levine


Bela BartóMusic for Strings, Percussion & Celesta, Sz. 106, BB 114 (1936)
IV. Allegro molto
Chicago Symphony Orchestra/James Levine




後書

久しぶりにすべてを読み返してみて、論理の不明瞭な点、過剰と思われる逸脱、無意味とも思われる記述などに、実は正直なところとまどった。しかし、多少、言葉を補ったり、カナ使いを改めるだけにとどまって、原文を書いた時点の自分を尊重して書き換えることはあえてしなかった。

この論考が「新潮新人賞」でベストエイトに残りながら、なぜ主席になれなかったか、当時はわからなかったが、今、読み返してみてよくわかった。だから、書き直したいのはやまやまである。が、しかし、そのときの情熱は充分に伝わってくる。

自分で言うのもおかしいが、校正しながらも、最終章になるにつれて私自身、引き込まれてしまった(笑)。もし手を加えればもっと論旨の明確な洗練されたものになるだろうが、このときの情熱は失われてしまうかもしれない。それを恐れたのだ。

若書きにありがちなことだが、情熱がありあまって表現自体は荒削りになるという典型を自分に発見したわけだ。だからこの作品をとても愛しく思う。この情熱をいつまでも持ち続けたいと思う。したがって書き換えることはしない。

翻って今の自分を考えると、確かに老成はしたが、と同時に情熱を失いかけている。私は生の言葉より、文章に書かれた内容のほうにより感情を動かされるタイプなので、この作品を書いておいて本当に良かったと思っている。

ここには十五年前の自分がいる。まだ、ワープロのディスプレイが三行しか表示されない時代に、これを打った。GEL教室という英語教室、学習塾に出かける前の二時間を削ってこれを書いた。そのときの自分が思い出される。

たった十五年余り前のこととはとても思えない。もう二十年も経ったような気がする。この間の自分自身の内面的、対社会的変化、文明の進歩――特にIT関係――には驚くべきものがある。

テキスト形式に出来なかった原稿がスキャナーでパソコンに取り込め、ワードで編集後、pdfファイルに変換できる。さらにホームページ上で販売も出来る。これを書いた時点でこの過程のどこまで予測できただろう。

 何一つ予測できていない。これが真の〈純粋時間持続的三次元的生成過程〉であろう(笑)。さらに今読んでみても古さを感じない。これは偏に題材としてクラシック音楽と言う普遍なものを選んだことと、それを語る語り口である〈思想〉はいつの世にもあると言うことだろう。ソクラテスは決して古くならない。現在に問題を投げかけてくるのである。

図版などもっと入れたかった部分もあります。しかし、絵画図版に関しては著作権が関係してくるので、安易に載せることが出来ません。なるべく古くもう絶版になっている画集からなんとか取りましたので、「本当はこちらを載せたかった」というのもありましたが、著作権で何か言われることはおそらくないでしょう。

その他、心残りな点も多々ありますので、何か、ご意見、ご感想がございましたら、
メール
を送ってくだされば幸いです。

2008年10月26日校訂終了。
2009年2月22日再校訂終了

筆者:川鍋 博



※なお、「バルトークからの三章」、きちんと読みたい方のためにpdfファイル化しましたので以下からダウンロードされても結構です。ただし「図版」はカットされています。

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